【山哲コラム】「大人げないJ-POP満載!#1」GLAYってビジュアル系?

「大人げないJ-POP満載!」とは?コラム「大人のJ-POP万歳!」のスピンオフ企画スマホ時代に贈るCD全盛期アーティスト楽曲愛慕論アプリ、ダウンロード、ハイレゾ、そんな今でも「音楽がもっとマインドシェアを占めていた」あの頃に今もなお焦がれる大人げない同士に贈るアーティストやら楽曲やらのエトセトラ

山哲
ビートルズから欅坂まで、最近はBiSHにハマるヘヴィメタルから歌謡曲までメロディ至上主義音楽業界34年の現TSUTAYAフィールドトレーナー

「ぐ、ぐっ、ぐれい、グレイ、GLAY・・・・」

スタッフが私の真横にす~っとやって来て、肘をグイグイ押し付けて震えながら小さく呟くのだ。えっ何?と思ったその目線の先にはGLAYのボーカルのTERUが・・・2000年5月19日、今から18年も前の出来事である。

「GLAY(グレイ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド」
ウィキペディアではこう紹介されている。
そもそも日本独自の音楽ジャンル様式ある「ヴィジュアル系」の呼称起源は諸説あるし、そのジャンル基準も曖昧なのだが、GLAYがメジャーデビューした1994年は、同様にシーンに大きな影響を与えた「黒夢(くろゆめ)」や「L’Arc~en~Ciel(ラルク アン シエル)」もデビューしたので、専門誌でも比較されながら大きく取り上げられた事や、デビュー曲「RAIN」がヴィジュアル系のパイオニア的存在だったX JAPANのYOSHIKIプロデュースだった事、さらにヴィジュアル系バンドのメジャーへの登龍門的存在だったYOSHIKI設立のインディーズ・レーベル「エクスタシーレコード」から1stアルバム『灰とダイヤモンド』同日にリリースするという、メジャーとインディーズの同時デビューという前代未聞のインパクトで「GLAY=ヴィジュアル系」という認識が確立した。  
その後のミリオンセラー連発やベストアルバム480万枚などセールスレコードなどが音楽シーンに刻まれるにつれ、誰もGLAYをヴィジュアル系と呼ばなくなったし、TSUTAYAでのジャンルも普通にJ-POPに。概念や初期のコンセプトはさておき、当初ヴィジュアル系と呼ばれていて現在も活躍中のバンドはそのカテゴライズされる起因へのこだわり、例えば化粧や衣装の奇抜さがどんどん消えていくので、GLAYの場合もウィキペディアでの表現の方がもはや一般的ではなく、「GLAYってヴィジュアル系?」に答えるとするなら「昔はねーそだねー」が一番妥当。GLAYは北海道出身だし(笑)
当時ブームに便乗して化粧とスタイルだけでヴィジュアル系を気取ったバンドの多くは消えていき、才能がある奴らだけが生き残っている。まあそれはヴィジュアル系に限ったことではないけども。

さて、そんなGLAYだが、バンド母体の結成は1988年らしいので、今年で30周年、メジャーデビューから24年。解散せずに第一線で活躍するモンスターバンドである。
個人的に1994年組(勝手に命名)ではラルクと黒夢にはインディーズ盤の売上で大変お世話になったし、特にラルクは私の学生時代のレコード屋バイト時の先輩が関係していたし、ルックスや特に楽曲も好きだったので、ライブの楽屋にもよくお邪魔していたのだが、GALYに関しては招待されてもライブにも顔を出さなかった気がする。ある時期までは・・・・・そのきっかけが、冒頭の店舗スタッフの「ぐ、ぐっ、ぐれい、グレイ、GLAY・・・・」
2000年といえばまだ私が前職である某チェーンのバイヤーだった頃の話。
1992年に20億を投じて開店した神戸ハーバーランドの店舗が、3年後の阪神・淡路大震災の影響もあり、2000年7月に閉店が決まり、CDとDVDを仮店舗で処分セールしていた時なのだが、在庫の棚卸しをすることになり、その応援の為店を訪れた5月19日の閉店間際、突然TERUがやって来たのだ。
それには伏線があり、聞けばギターのTAKUROが昼間既に訪れてくれたらしく、そこから店舗の存在を知ったというコト。
その年GLAYは全国19都市77公演という大規模なコンサートツアーを実施しており、その日は神戸ワールド記念ホールでの4日間のライブの中日(休演日)でメンバーは各々休日を楽しんでいたそうだ。
当時バイヤーという職業柄、アーティストに会ったり話すことが日常的だったし、店舗スタッフは逆にビビってたし(笑)まあ普通に接客をしたのだが、GLAYはライブも行ったことなく、特别な知識もネタも持ち合わせていなかったので、その時は会話がはずんだわけではなかったが、在庫処分セールでかなりプライスダウンされていたDVDを次から次へと手に取ってはお付きの人(マネージャー?)に手渡すという、店舗としては大変ありがたい爆買いをして頂いた。
日本のロックバンドのメンバーはステージと普段のギャップが違うことが多く、例に漏れずTERUは物静かで寡黙だったが、とても腰の低い印象でイメージが変わったのも事実。

そんな事もあり、その年の11月に行われたツアーファイナルである国立代々木競技場第一体育館でのライブには顔を出してみた。CD業界バブル時代なので、メーカーは交通費や宿泊費まで用意して招待してくれる。当時は毎週のようにライブやコンベンションに参加していた気がするが、全国から招待される人はいつも決まっていたのでお馴染みのメンツになったけど・・・・(笑)
ライブ終了後、別会場で打ち上げ。1年を通したツアーの打ち上げだったので豪華パーティーに近いものだった。BINGOゲームの特賞がポルシェ(ボクスター)だと発表された時は少々引いたが、GLAYの事務所ならそれもアリなんだろうと妙に納得し、当たったらどうしようと不安になったのを覚えている。当選した人の前に登場したポルシェが子供用の小さなやつだったので大爆笑だったのだが。
BINGOゲームがこの時の打ち上げだったかどうか正確には覚えていない(その後何度かこのような打ち上げに参加したので)のだが、ハッキリ覚えているのは、当時自分が仕事でアーティストに会う時にいつもしていた「CDのジャケットにサインを貰う」を実行する為、会場にバラバラにいるメンバーにサインを貰ったときのこと。
TERUは5月の事を忘れてなくて、「覚えてますヨ」とニッコリ。なので印象度爆アゲ。HISASHIとはその時どんな会話したか覚えてないけど、最近BiSHなどWACK系のアーティストに好意的な呟きをしているので今なら話が弾むかも。面白かったのがリーダーのTAKUROで、私が近づくと目配せして、手に持ってた食べかけの料理を手渡してきて「これ、あげますよ」と。どうやら説教オヤジ風の関係者に捕まっていて、その場を離れたかったタイミングだったらしい。
ベースのJIROはわりと話しやすくて、神戸のライブの時TERUとTAKUROが店に来てくれたのに、JIROなんで来てくれなかったの~みたいな話になった時、「ボク、その時モザイクで映画観てましたヨ~」と。モザイクというおそらく関西人しか知らない商業施設の名前がすらっと出てくる事に驚いたけど、親近感が湧いた。JIRO面白い。
まあ、こんな事があったおかげでGLAYの曲もちゃんと聴くようになったのだけど、GALY楽曲で1曲挙げろと言われれば、1997年に12枚目のシングルとしてリリースされた「HOWEVER」。シングルではGLAY初のミリオンヒットとなり、この後シングル5作連続ミリオンセラー。この曲がきっかけでベスト盤も当時歴代1位の480万枚セールスを記録したのだから、ファンにとってもGLAYにとっても大きな存在だと思う。
ただし、コラムのタイトルどおり「大人げない」私はあえて、宮藤官九郎率いる「グループ魂」のメンバー、港カヲル(俳優 皆川猿時)の2017年リリースのソロデビューアルバム「俺でいいのかい ~港カヲル、歌いすぎる~」収録の「HOWEVER」のカバーをおすすめ。
ライブでは「カラオケかよ!」と観客から総ツッコミされるナンバーだが、港カヲルverを聴くと逆にこの曲の本質が見えてくる気がする。決して笑いではなくリスペクトで。

さて、JIRO面白いシリーズだが、その後会った時に、私の知り合いの女性が電車の中で変装?したJIROに遭遇し、「JIROさんですよね?」と話したら、「分かります?」と返事してもらったと自慢げに言っていたよ、と話したら「それ、ボクじゃないヨー、だってボク、電車乗らないも~ん」
残念、偽物でした(笑)