BOØWY解散の真相と、 ヒムロックの遺伝子曲たち

大人のJ-POPとは、TSUTAYAにおける「フォーク・ニューミュージック、歌謡曲、懐かしのアイドル」に分類されるカテゴリーをまとめた、山哲流のジャンル。
音楽がすべてだった世代の大人へ送る。

山哲
ハードロックからAKBまで幅広く好み、業界31年のTSUTAYA音楽バイヤー。

わずか6年の活動で「武道館をライブハウスに変えるほど」人気絶頂期の解散で伝説と化したBOØWY。

GLAYがそうであるように当代バンド始動の「動機」として、解散から30年近く経った今でも再結成を熱望され、指原莉乃率いるHKT48がライブで「ONLY YOU」をカバーするとオヤジ達が歓喜する、など話題は尽きない。

解散理由の正式発表は一切無く、布袋寅泰著『秘密』では「俺には俺の絶対解散せねばならない理由があった。
しかしその理由は墓まで持っていくつもりだ」と記されているのだが、ドラムの高橋まこと著『スネア』に核心に触れる内容を発見。当時妻だった山下久美子のツアーに参加していた布袋がベースの松井常松も誘い参加する事になり、さらにはドラムの高橋氏にも要請があった事実を氷室に直接事情説明したところ、氷室から「来月、解散しよう」と…。

その後全員での話し合いで決定したとはいえ、メンバーの動向に氷室が憤慨した事は、ジョンがビートルズという聖域にオノ・ヨーコを出入りさせた事が原因のように、引き金を布袋が弾いた事には違いない。

解散の真相はさておき、このカリスマが生んだ名曲の中には依頼されて他人に提供した数少ない「大人のJ-POP」的ヒムロックの遺伝子曲が存在する事はあまり知られていない。

「氷室じゃなきゃ嫌だ」と言ったアイドル仲村知夏への2曲はマニアック過ぎて割愛するが、小泉今日子に提供した「3001年のスターシップ」は名曲過ぎて自身で詞を書き換え「LOVE&GAME」になったり、反町隆史に書いた「One」も、後々にミニアルバムの中でセルフカバー。
KAT-TUNの「Keep The Faith」やDAIGO☆STARDUST時代のDAIGOには自身のシングル曲「Claudia」など、どれもメロディアスで氷室節炸裂。

そして真打ちは85年デビューのアイドル、奥田圭子3rdシングル「プラスティック」だろう。

作詞があの秋元康、作曲が氷室、編曲が布袋という布陣の神曲。彼女も無名時代のからのBOØWYファンという縁で実現。
LP 「cresc.」には他にも氷室作曲の「STORMY NIGHT」という名曲が収録されていて、89年に待望のCD化もメーカー倒産で廃盤になると氷室ファンの間で話題になり中古価格が数万円に高騰。

その価値に目を付けた別のメーカーが19年後に奇跡のリイシュー化を実現させるも再度廃盤というお宝ぶり。

オススメなので是非チェックして欲しい。そういえば氷室京介は耳の病気を理由に2016年春のコンサートを最後に活動休止宣言。布袋寅泰はブログにて氷室の名は記さずに「最後のステージはせめて一曲でも隣でギターを弾かせてほしい」と想いがストレートに伝わるコメントで呼応。

解散以降初の全編BOØWY楽曲で構成された震災チャリティーライブですら実現しなかった両雄の並び立つ奇跡はガラス細工のフィーリングだけど、春という季節が氷室のわだかまりを変える事が出来るなら、マヌケなピエロにだってわがままなジュリエットにだってなれるっていう、

かつてのバンド少年達が沢山いるのに・・・・

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2016.03 執筆